電通大生による自殺日記

自殺する電通大生の日常を晒す。

健康的に自殺しよう




健康的に自殺しよう。


大金があったら、自殺企図は消えるだろうか。
小さな悩みは消えても、真の人間らしさを失ってしまうのではないか。

ただの消費者として意味のない人生を送ることを、自分は望んでいるだろうか。



20歳で死んでも100歳で死んでも、何か取り立てて不幸なことはない。


そもそも、なぜ人間は長生きを美徳だと考えるのか。
なぜ、"人生は短い"と常識のように繰り返すのか。


年を重ねるほど、時間の経過を早く感じるらしい。


それはなぜ?

単調な日々になるからでは。
真に自分は人間だ、生きているのだ、と実感する瞬間がないからでは。


大衆は消費*1に人生を捧げ、空疎な満足を渇望する。
自分から消費に溺れ、他人の消費を妬み、「消費こそが人生だ」と愚劣な文句を言う。

それで"人生は短い"と主張するのだから救いようがない。


もし消費が人間らしい行為ならば、金持ちは皆自殺している。

しかし実際はそうでない。
消費という行為だけでは、人間らしさを得ることができない。

だから金持ちも貧乏人もそれ以外も、長生きを美徳だと勘違いする。
生きていれば何か見つかるだろうと期待して。

消費を娯楽や自分の人生を満たすものだと捉えている限り、一生何も掴めない。



自我を認識できなければ、長生きしても無駄だ。

 

エンドレスエゴイズム

2023年4月28日(金)

また朝日が昇る時間に寝床につく。昼夜逆転しているけど早朝いいな。
静かできれいでカラスと自分だけの世界だ。


せっかく手に入れた自由をこれ以上奪われてたまるか。
もう縛られたくない。だからこの有限を有効活用して死んでやるのだ。



2023年5月1日(月)~7日(日)

くだらない、どうしようもない雑記を書くのは劣等感からである。
恵まれている人間への嫉妬心からである。


もし現代に彼*2が生きていたら、東北の百姓以下の愚民と友達になってくれるだろうか。
自分と同次元で話ができたとしても、やはり愚民に変わりはないのだろうか。


意外とあっさり死ねるのではないか。


本質を追求しようとせずに、否己の劣等感を認めたくなくて、稚拙な言葉で覆おうとする。
利己心が為に人と関わりたくないのだ。


人は要らないものを求めすぎだ。



2023年5月1日(月)

空が明るくない朝4時を望む。陽が昇るのが怖い。自己喪失する。



2023年5月6日(土)

人生をかける覚悟がない。生きたくなるのが怖い。
本当の自分を知られたくない。本当の自分はクズで最低でゴミで怠惰な人間だ。

だから別人を演じる。
自分のせいで誰かが傷つかないように。
誰かの時間を無駄にしないように。

でもそれは綺麗な言葉で取り繕っているだけで、努力もしない馬鹿な愚鈍な自分を認めたくないのだ。
つまり劣等感を認めたくないのだ。



2023年5月15日(月)~21日(日)

変に頭の良い人間は純粋すぎるから自分の思想に溺れていく。
教養のない人間は不純で性格が悪く、自分の思想を持てないくらい頭が悪いから、宗教を毛嫌いする。


他人の理想に縛られてはいけないと分かっているのに、それこそが指標でありゴールなのだと、無意識か意識的か目指してしまう。


今日は昼寝したからか、一服しに外に出たとき何か違和感を覚えた。
空間に物足りなさを感じた。



*1:消費の簡単な例としては、食、家、車、旅、家庭、愛、名声、知識、etc.

*2:朝倉泉。人物についてはこちらから。