電通大生による自殺日記

自殺する電通大生の日常を晒す。

たとえ世界に憎まれても自殺する人の味方でありたい

たとえ世界に憎まれても、自分だけは自殺する人、した人の味方でありたい。



毎日が人生最後の〇月△日になっているが、特別な変化を起こす気はない。
途切れない死への憧憬を脳の中央に飾りながら、ただ習慣を貪る。

あと数年、何かしらの理由で生きる決断を下したとしても、病気か事故で早死にしそうだ。
普通の人間が真正面から取り組む問題に対して背を向けて生きているから無理もないか。


そもそも人間というものに向いていない。人間的な生活に向いていない。

この頃は喫煙だけが唯一の逃げ場になってしまった。


何が最適解なのか。

うつ病を治すことか。

生きる意味を探さずには、普通の人間、まして世間に紛れることはできない。
うつ病なら普通の人間がすることをしない言い訳ができるという、あまりにクズすぎる思考。


生まれなければ、死について考える機会がなかったのは明らかだ。
されど、死してこそ理想の人間になれると信じている。
 

G線上のメンヘラ

2023年6月12日(月)~18日(日)

自分が冷たいのか、世界が優しすぎるのか。


縛られたくない。
死んでほしくないと言うなら、それ相応の理由を与えてください。

求めすぎか。
相反する気持ちが混在するのは、人に、世界に甘えているからだ。

縛られたら逆に放浪するだろう。
他人の人生に介入したくない。自分に介入されたくない。

別の死にたい奴を、もっと救いようのある奴を救った方が良い。
自分みたいなクズよりも。


梅雨が明けたら夏が本格化して、秋に色づいて、いつの間にか雪が降る。
一年が知らず知らずに巡り終わってしまう。


曜日感覚はあるのに日付感覚がない今日、幸せな夢の中で死にたいと思う。


死に急いでいる。
何度、曇り鏡に「死」と重ねても、その前に立つ自分は呼吸を繰り返す。



2023年6月19日(月)~25日(日)

知育菓子を数種類つくってみたが、製作時間に見合わない味の悪さだった。








二度寝しようとベッドに戻った昼、窓を叩く音が聞こえた。
今起きて冷静に考えれば幻聴だろう。最近は聞く回数が減っていたのに残念だ。


スマホには写真が200枚もない。
写真フォルダの不充実さが人生の浅さを表している。


嫌なことは大抵、人と関わるときに起きた。
だから信頼することや心を開くことをやめた。

自分が傷つくのも、他人を傷つけるのも、他人を傷つけた自分を嫌いになるのも、全部不快だった。
どうせ裏切られるなら始めから関わらない方が楽だった。

親の主張が悪い方に誤っていると判明したとき、親でさえ信用してはいけないのだと思った。
間違うことは悪ではないが、己の誤りを認め正さない姿がひどく醜く見えた。

長い間、殻に閉じこもっている。
これまでもこれからも人を信用することはないだろう。


世の中に対する恨み辛みを書き連ねても、世間は実在するのか怪しいから無駄かもしれない。