電通大生による自殺日記

自殺する電通大生の日常を晒す。

『うつ病は社会の生き恥』らしいから自殺してやる

母は他人の人生例を盾に自分の提案、否命令が正しいのだと証明しようとした。


母はOさんの家の話を持ち出した。

Oさんという家の長男は、高専から大学に編入したが休学した後退学した。
現在は地元で働いている。


「一度大学を休学したら大学に在学し続ける意味はない」
「退学して地元に戻り就職するのが当たり前なのだ」

と他人の例を利用し言った。


無性に腹が立つ他人の使い方だ。
話のダシにされたOさんの家の彼がかわいそうである。


彼が何故に休学したかは知らないが、彼だって本心は現在の状況を望んでいないのではないか。
家庭の、主に親の事情で道を絶たされたのではないか。
もしくは必要な休養期間を奪われたのではないか。


おそらく彼も私のように繊細で神経質な人間なのだ。
私の母のような無教養で不躾で勝手な人間ではないのだ。


「〇〇さん家の△△君もそうしているのだから、お前もそうしなさい」
と言うのは、自分はあくまで子どものことを思って言っているのだ、という表面的な憂慮を持っているように見える。

だが実際は自分達(親)が貧しい状況を脱し、
うつ病患者という社会の生き恥を自分達の手の届く範囲で管理する
のが真の目的なのだ。


もちろん、うつ病患者は社会の生き恥ではない。

しかし教養のない人間は無知で無神経だから、うつ病を理解できない。

彼らにとって、うつ病は社会、自分達の役に立たない生き恥なのだ。
心の底でそう思ってやまないのだ。

自分達はまともな人間だと思い込んでいるから。



もう一つ、気障りな言葉を母は言った。
「パパもそう言ってる」


これは実に醜く汚いやり口である。

なぜなら父も同様の考えだと私に伝えることにより、もし自分(母)が私に反論、論破されたとしても、自分の考えだけではないから、不快を味わうことなしに再び対象を攻撃することが可能だからだ。

子どもの憤怒をかわし、常に攻撃の主導権が自分(母)にあると、私に圧力をかけることができるのだ。


これでは私は何も言えない。
「はい」も「いいえ」も言えない。

母の怒りに火をつけないよう押し黙ることしかできないのだ。


どんな人間も完璧ではない。彼らも私も。


それは理解しきっているが、まだ自我があるうちに、私は自殺を決行する。
高3の冬、ある本に出会ってから自殺するために今日まで生きてきたのだ。


最後に置き土産として奨学金の返済を残してやろう。
私物は彼らに利用されたくないから全て燃やす。

 

大いなる迷走

2022年12月5日(月)~11日(日)

森田童子『たとえばぼくが死んだら』が好きだ。
悲しい歌だけど温かい歌だ。


SNS解離性障害を扱った漫画を何度も読んでは悲しくなる。
主人公の気持ちも、主人公の幻想の気持ちもよく分かるから。
他者から見れば変人だろうけど、お互いに気づかなければ、ずっと思い出を重ねていける。
始めは死にたい感情が分かりすぎて、終わりは共に過ごした日々が続かないことに失望した。



2022年12月12日(月)~18日(日)

応接室で誰かがピアノを弾いている。
クラシックではなく邦楽だと思うが、切ない感じのする音だった。
冬に似合う曲だった。


目が完全に覚めた今なら、あれは確実に幻聴だったと分かるのに、起きているのか寝ているのか不安定な状態で聞こえた様々な声の内容に対し、怒鳴りつけた気がする。
本当に声を出したか定かでないが、自分が何を言ったか、相手が何を返してきたかは覚えている。



2022年12月26日(月)~2023年1月1日(日)

迷える僕らの救世主は時間という名の英雄ではない。


世界が霞んで見えるのは単に視力が低いせいなのか。
それとも自分が歪んでいるからなのか。

視界はいつも靄がかかっていて肝心なものが見えない。
いや、見ようとしたくなくて霧隠れさせているのか。


人と関わらず楽に生きていきたいが、世間や親は許してくれないから死のうと思う。

自分の世界に引きこもっていたい。
過去のトラウマから逃げられない。
努力してまで生きようとは思わない。
決断ができない。

自分が何者なのか、何をしたいのか分からない。
自分には価値がない。


別れを惜しむ友人や先生がいないことを恥ずかしい自尊心で隠して、逃げるように教室を飛び出した卒業式の日から時間は止まったままだ。


「ありがとう」の一言で関係が良くなるという文言を見たが、某国の大統領が隣国の大統領に対してそう言ったら、世界は平和になるのか。ならないのに無責任なことを言うな。