大学に入学し半年が経った頃から、勉強に対する意欲が全くなくなり、食欲も減退し、眠れなくなった。
ベッドに横たわっても、脳と目がずっと覚めていて、体はだるいのに熟睡できなかった。
BMIは16*1をきり、動くとめまいがした。毎日気持ち悪かった。
さすがにまずいと感じたため、医療機関を受診した。
下された診断は「混合性不安抑うつ障害」*2であった。
なぜうつ病になったか。
・もともと内向的
・習慣が崩れることを異常に恐れる
・完璧主義な部分がある
・ストレス発散が苦手
・人の言葉を気にする
あくまで推測だが、そういった性格が起因していると考えられる。
このせいで大学に通うこと、勉強すること、外に出ることなど社会生活に恐怖を感じるようになった。
なぜそのような性格に育ったか。
自分が何か話すと母はすぐに否定した。
中学も高校も大学(正確には高校卒業後の道)も勝手に決められた。
高校の成績と担任の助言がなければ、大学進学の道は完全になかったに違いない。
バレー部に入りたいと言ったら「あんたには無理」と入部を許してくれなかった。
高専に行きたいと伝えたら「なんで普通の高校を選ばないの?」と問い詰められた。
物事を完璧に行わなければならないという強迫観念もあった。
母や先生に怒られないように。
不満をこぼすと、人格のあら探しをされ罵られた。
実際、高校の化学の教師に「お前は性格が悪い、冷酷だ」と言われたことがある。
だから何も言わないようにしてきた。
叱られるのも怖いし、自分の言葉で誰かを傷つけてしまうかもしれないし。
ストレスを感じたときは、チラシの裏にボールペンで「死」と大きく書き、ぐちゃぐちゃに丸めて捨てていた。
人の機嫌をうかがって生きてきたら、自分一人で何かを決断することができなくなった。
自分はダメな人間なのだと、そう思い続けてきたし、今もそう思っている。
以上は大学生がうつ病になった一例である。
過去を振り返り、よく中学、高校でうつ病や不登校にならなかったなと思う。
今の精神状態で高校生活を送ったら、ためらいなく確実に自殺していただろう。
ただ田舎すぎて逃げ場がどこにもなかった。
もし自分がうつ病かもしれないと感じたら、近場のメンタルクリニックを早めに受診しよう。近い方が通うのは楽。
眠れなければ睡眠導入剤、抑うつ状態ならセロトニンを出す薬などを処方してくれる。
たとえ問題が解決しなくても薬があるだけで幾分か安心できる。
自殺するにも体力が必要だ。
思想過激派
2022年7月8日(金)
安倍元首相が銃撃されて死亡した。
今時、暗殺が起こるとは思わなかった。
それくらい日本が平和で、それでも今日まで首相が暗殺されることは度々あったわけで、自分が歴史の中に生きていることを実感した。
2022年7月22日(金)
今日見た夢について書く。
10階建ての病院。1階にer。2~8階は薄暗くて怖い病室。9、10階が円形の憩いの場。
カワグチという少年が4階で死亡。癌。一度持ち直した。プール?
2022年8月1日(月)~7日(日)
五輪が開催されたときそんなもの不必要だと言っていた人間が大勢いたのに、ロシアとウクライナが戦争を始めたら、平和がどうたらとか戦争反対とか核兵器不保持とか騒ぎ出す奴らは馬鹿なのか。
2022年8月22日(月)~28日(日)
第104回甲子園で仙台育英が優勝した。
東北勢が春夏通じて初めて、白河の関を越え、優勝旗を得た。
長かった一世紀。生きている間に勝ってくれてありがとう。
Netflixで見たかったアニメが配信終了していた。
いつか見ようと思っていたが正直ほっとした。
見るのを放置していたのは怖かったからだ。
自分にないものと、自分と重なる部分を知るのが。
2022年9月
盗んで人生破壊しろよ。
いつまでも9月が続けば良いのに。
気がつかなければ失望することなどなかったのに。
2022年12月
昭和を生きてみたかった。音楽も小説も質が高い。
Netflixでアニメを見たが、そのアニメのタイトルを書けないのは浮ついた軽率な感情を恥じているからであり、もう一度視聴することができないのは配信終了を理由にしているが、真意は何もしていない自分にひどく嫌気が刺すからである。何もしていない己に対しての強い嫌悪感、または疑いようのない醜悪の心。
今日寝ぼけまなこを擦る朝は、誰かが望んでいたか望んでいなかったか定かではないが迎えられなかった朝であり、自分より生きるべき人の朝であった。
雲一つない青空もまた自分ではなく、見るべき人が見るべき空なのだ。
この見るべき人というのは、単に生に貪欲な者――例えば余命宣告を受けながら前向きに生きる者ではなく、死を受け入れそれでもなお愛する者のために悲劇の道を歩む、美しい豹のような人間である。