実家に帰省したとき妹の車にDiorの香水のテスターの試香紙があったり、自分で買ったコスメデコルテのパウダーを大事そうに抱えていたり、仙台に行ったときはデパコスコーナーに立ち寄ったり、妹にはいつか必ず高級品を手に入れるという執着心がある。
それを持っている同年代の同性を羨み、購入したい気持ちは理解できる。
ブランド物を身にまとう自分に価値を見い出したい。
ブランド品は他人が認める一人前の証である。
誰しもにそういった承認欲求はあるだろうが、自分は消費を追い求めるだけの人間になりたくない。
無頓着でいたいわけじゃない。
身だしなみが大事なことはよく分かっている。
しかし、消費物に何の意味があるのか。
消費を追いかけても、一時的な快楽、満足しか得られない。
その先にある虚無とどう向き合う?
虚無と向き合えないから、人はさらに消費を求める。
食、家、車、旅、家庭、愛、名声、知識、etc.
果たして消費は人間らしい行動だろうか。
何か自分の内側、たとえば思考や創作など、自分は自我を持った人間であると感じられる行為も必要ではないだろうか。
たとえそれが誰かに認められなくても。
ひねくれ惰性主義
2023年3月8日(水)PM1:11
Spotifyのプレイリストの歌詞が世界を正しく表現していても、人が人を理解しようと試みない限り、きれいに生きることはできない。
逆に試みれば、その曲の価値がさらに跳ね上がる。
晴れているなら遠く離れていても人は同じ青空を見上げるが、今日の空は明日の空でも、昨日の空でもない。
どこかにいる誰かが自分と同じ青空を見ているとは限らない。
月も太陽もすべて。
2023年3月13日(月)~19日(日)
目覚めたとき、ここはどこなのか、どこで寝ていたのか分からないことが何度もある。
入眠剤を飲むと、直前までの思考を思い出せなくなる。
大学の友人はおろか、この地球上に真の友人など一人もいないのではないか。
よく一人で生きているなと思う。
うつになった原因は友人がいないせいではないから尚更。
2023年3月20日(月)~26日(日)
欲求に従って生きなければ、本当にやりたいことを見失う。
現実と夢の境目、起床する前によく見る幻覚で出てくる人は皆、顔が分からない。
背格好、年齢、性別、雰囲気、声は分かるのに顔だけがいつも見えない。
もし顔を見たらどうなってしまうのだろう。
2023年3月27日(月)~4月2日(日)
一時大雨が降り、服と靴とリュックがびしゃびしゃになった。
ダイソーで買ったアルミホイルの紙箱が使い物にならなくなった。
タバコ屋の店主がラジオで春の選抜の結果を聞いている。
昭和感があってとても良い。
京王線が地上で走っていた頃、調布から布田までの踏切で自殺が多かったらしい。
今その場所には植物が多い。
咲いていても枯れていても嫌なほど生命を感じる。
よく知っているものに違和感を抱くことが時々ある。
例えばトリエC館の前。
何度も通った道なのに、これから自分が行く場所も、通りすがりの人々が知り合いではないのも分かっているのに、何か違う。
まるで自分だけが存在しないようだ。
そういう日は視界がセピア色に見える。
寝入りばなに幻覚を見た。
上着がボコボコと膨れたり、揺れたり、震えたりしていた。