電通大生による自殺日記

自殺する電通大生の日常を晒す。

憎い奴を殺してから自殺しようか

記事中盤の日記を読んでいただければ、タイトルの意味は何となく分かるだろう。

これまでの人生で人を憎んでしまった。
一瞬でも、その人間を殺そうと考えたが故のタイトルだ。

現在はその人間に対する殺人願望はない。
自分は刑務所や刑期を終えた後の社会生活に耐えられないから、他人を殺すより自分を殺す方を選択する。

 

自分が憎くてしようがないんだ

2023年2月6日(月)~12日(日)

これ以上生きたくならないように、やり残したことをこなしていく。

生きる道は多分たくさんある。
でも自分が辛くない道はどこにもない。

根本を退治するか、それが息絶えるかしない限り、ずっと苦しいのだ。
だから自殺する。


手を差し伸べてくれる人がいるのに、自分はそれをふりほどく。
くだらないプライドを掲げて。

優しい世界、最低な自分。


地元の大学を志望しなくて本当に良かった。
盛岡なら母はすぐに飛んで来ただろう。東京なら簡単には追って来られない。
高3の自分を褒めたい。


あいつが死ぬまで悪夢は終わらない。
この2年の間にあいつが死んだら自分は生きる。死ななかったら自分が死ぬ。
今は離れているから、LINEを気にしなければいいだけ。


生きているのに心はずっと死んでいる。



2023年2月8日(火)

呪縛から逃れられるなら手段は何でもよかった。



2023年2月13日(月)~19日(日)

生まれながらに死んでいたらしい。


簡単な問題は全て、金と時間さえあれば解決する。
それなのに、低収入な親の都合で将来が破綻することに納得がいかない。

他人の話を持ち込んで論点をずらすのが得意だよな、親という存在は。
勝手に希望的観測を持たれて、勝手に悲観されても困る。

昔から自分には選択肢も決定権もなかった。


自分を殺す前に誰かを殺してしまうかもしれない。


あと少しだけ生きてみようかな、と思う時期に限り、人生はそう上手く回るはずもなく貧乏人は悪循環に陥る。
現状を維持すればするほど、困窮になり毎度自殺を考える。今度は実行するが。

優しい言葉をかけてくれる人がいるのに、自殺しようと、逃げようとしている自分が嫌いだ。大嫌いだ。



2023年2月20日(月)~26日(日)

自分は悪い意味で普通の人間ではないのだろう。
割り切って生きる覚悟がないから、人間らしい生き方だと、死に方だと言い訳をして自殺を選ぶのだろう。


決して恵まれているとは言えない家庭に繊細すぎる人間が生まれた。
もし裕福だったら人生の選択肢が多くあるはずなのに、不幸にも不相応な人間が生まれてしまった。


大学を退学する時期とその決断をするタイミングが遅かった。


母親の被害者アピールが嫌いだ。
一番の被害者は自殺以外に道のない不幸な子どもだ。


休学は悪なのか。
子どもの考えなど理解しようともせず、金のない大人の都合で未来を潰している。

ダメ人間だから休学するのではない。
その日を、たった一日を生きるために休養が必要なのだ。
金もないのに子どもをつくった無責任さのせいでもある。



2023年2月27日(月)~3月5日(日)

自分は0か1でしか考えられない、二進法のような人間だ。
過激派というか、矛盾した人間や批判が嫌いだ。


身近には生まれながらに恵まれている人がたくさんいる。
自分はそっち側の人間ではなかったのだ、と痛感することが多々ある。
例えば、同じマンションに住んでいても上の階に住める、私大に通っている、留学できるとか。

自分の努力だけではどうにもならない差を感じる。
その埋められない差に意味もなく失望する。


自分が今、苦しい原因を他人のせいにするのは心が疲れているからか。
それとも元々自分が卑しい人間だからか。


人間らしい生活、思想、自我を保つ自分が他者より優位性を誇示できるモチベーションの原料だった。
人生の唯一の目標であり、指標であった。

しかしそれは他者に理解されるものではないらしい。
間違いではないとしても、生産性のないものだ。
だから人は「無意味」「無価値」だと言う。