電通大生による自殺日記

自殺する電通大生の日常を晒す。

自殺するならどこがいいか

勝手に絶望して、勝手に死にたくなる。

今からベランダの鉄柵で首を吊ってもいい。
飛び降りるには高さが十分ではない。

本当は旅先で死にたいが躊躇している。死ぬことではなく、場所選びに対して。
どこで死んでも誰かの迷惑になるのだが。

樹海にでも行けばいいだろうか。
それとも実家で死んでやろうか。



煙草を吸い、数独を解き、YouTubeを見て寝る。
生産性も価値も何もない日々。片や世界を獲る同学年。


何のために生きているのか。
答え合わせなど誰もしてくれないのに、毎日問い続ける。

死んでも生きても存在自体が怪しい自分を卑下せずにはいられない。


たまに自分の不出来さに涙が止まらない早朝がある。
全てを奪われる夢を見る。


嫌だった高校生活の中で、唯一希望だった大学合格。

自分から"大学生"という肩書きをとったら、あの3年が無駄になる。
逃げ場がなくても普通の人と同じことができなくても耐えたのに、何もかもなくなる。

ストレスのはけ口がなく、チラシの裏に大きく「死」や「呪」と書いたこともあった。
意味は相手にささやかな不幸があるように。

発言すれば倍返しされるから黙っていた。家でも学校でも。

自分が正しくても向こうが気に入らなければ、向こうの都合の良いように扱われる。




もうたくさんだ。死んでやる。

 

とめどない夭折願望

2023年3月~4月

自殺するならどこがいいか。



自分にとって都合の悪い人間と縁を切ったことを自慢する人間は心が狭い。
それは正義ではない。別に格好良くもない。お人好しでもない。



昔は防衛本能でもう一人自分がいた。
概念という膜のような人間らしいとは言えない偽の自分。
説教も嫌なことも悪い成績も理不尽なことも、全部受け止める自分が膜があったのに、もういない。

聞いているふりをしなくても良くなった。
自分ではない自分をつくって生きなくても良くなった。

今は本来の人間らしい自分が存在しているが、それはどうやら社会が認める者ではないようだ。



考えている。これ以上ないほど死を考えている。



親は子供を育てるのではなく、破壊させるのが上手い。
嫌味しか言えない生き物だと納得すべきだろうか。
完璧な人間などいないが。



人が偉人の言葉を知るのは、他者を批判するためである。



小学校低学年から死ぬのが怖かった。
死ぬというのは、自分という概念、魂、自我が消失することだ。

死んだら自分はどうなるのか。
記憶も思考も肉体も行動も、全てなくなるのはどういうことなのか。

その答えは未だ謎だが、現在死に対して恐れはない。



夢の中で過去を捏造する。



人間のリサイクル率はどのくらいだろうか。



自分は今も昔もあきれるほど嫌な奴だ。



メロディーを口ずさむくらい気分が良いときと、急に無気力が襲い空っぽになるときがある。



大学と市のカウンセラーに自分について話したくない。知られたくない。
少しずつ嘘を重ね、それは誤差を生み、いつか取り返しのつかないところまで膨らむのだろう。
自分ではない自分がまるで自分のように生きている。



寂しいというより退屈である。



ある競技のパートナー変更について考える。ある選手たちのメダル獲得を素直に喜べない。
実力や運もあることは分かっているが、パートナーを解消した選手はなぜ自分のときではなかったのかと思う瞬間があるだろう。
そう思うと苦しいから、嬉しいニュースを知るのが怖い。