電通大生による自殺日記

自殺する電通大生の日常を晒す。

電気通信大学を休学してみた



大学2年目、うつ病により電気通信大学を1年間休学*1した。
休学中、特にすることはなかった。何かしようとも思わなかった。
勉強もせず、外出もせず、睡眠導入剤*2を飲みずっと寝ていた。

 

注意

以下記事中に、"きちがい"という今日の人権擁護の観点において不適切な語句がありますが、特定の個人を侮辱する目的で用いられたものではありません。

迷える羊の行く末は-2021年

多くの人間は皆、幸せの先にある虚無から目をそらしている。
もしくは気づかずに死んでいく。

人生というトンネルに、確かに存在する無の空間を何の疑いもなく通過する。

多分それが普通。
そこから抜け出せないのはきちがいか神経衰弱。



後世のために地球を守ることはできない。
人は自分以外の者のために自分を犠牲にできない。



人は矛盾している。



世間には物質的なものでは解決できない寂寥せきりょう*3と耐えがたい空虚感に辿り着き、そこから逃れようと道を模索する者が一定数いる。

行き止まりが死。

社会が欲するように適応した人間は知らない。
真の寂寥せきりょうや空虚感を認識できない。



人は死ぬために生きる。



フロム*4が述べた、"孤独と無力感"は人間としての最高位の課題だと思う。

孤独はどんな地位、家庭、帰属があったとしても離れられない。
命を与えられた瞬間から死の間際までついてくる。
人間は肉体と魂を入れ替えることは不可能だから永遠に孤独だ。

どれほど愛する家族や恋人、親しい友人がいても解決しようがないのに、孤独であることを受け入れられない。認められない。
だから他人に属して、他人と群れて、他人を攻撃する。



自殺は寂寥せきりょうと空虚感への服従であり逃避ではない。
屈することと逃れることは違う。



自分自身から逃げている人間が、他人のために生きられるわけがない。
都合の良いように搾取されているだけ。



人生はただひたすら、寂寥せきりょうと空虚感を背負いながら死を待つもの。
夢を実現させる期間でも、幸せが満たす時間でも、他人のために捧げる命でもない。



人間は盲目のままでいい。
これまでの歴史を振り返れば本質を覆すことは無謀だから。

なぜ人間は盲目なのか。

それは自己を失っているから。
家庭環境や学生、社会人生活の中で他人と同一化せざるを得ないから。



*1:電通大の休学についてはこちらだが、某留年生氏の方が分かりやすい。

*2:ハルシオン、ルネスタマイスリーロラゼパムフルニトラゼパムなどを試した。個人的にはフルニトラゼパムがよく眠れる。

*3:"ひっそりとしてものさびしいこと。また、心が満たされず、わびしいこと"-明鏡国語辞典MX第二版(大修館書店)より引用。

*4:エーリッヒ・フロム-ドイツ出身の精神分析学者。生涯にわたって人間らしい生活とは何か、それに必要な社会基盤はどのようなものかを研究した。