自殺が人生の選択肢の一つになったのは高校3年の冬だった。
物理の先生が読書の時間を設けた日、『柳美里の「自殺」』という本に出会った。
それまで母親に"自殺は悪"と洗脳されていた自分が、どれほど愚かで、自殺について考えてこなかったかを思い知った。
また自分より年下の人間の卓越した遺書*1に感銘を受けた。
哲学的堕落-2021年
生きていることが不快でたまらない。
高校3年のとき担任が、過去に受け持った生徒で病気により若死にした人がいると話し出した。
おそらく今ある時間を大切に、とでも伝えたかったのだろう。
正直意味が分からなかった。
その人はなりたくて病気になったわけではないし、人間はいつか必ず死ぬ。
若死にだから不幸理論は間違っている。
医者や家族じゃなければその人のために何もできない。
幸か不幸か決めるのはその人自身だ。
こんな話で可哀そうだと思う奴は馬鹿だ。
生きた先に何があるのか。
自殺は自分を殺すのではなく、自分という名の他人を殺すのだ。
人間は生まれた瞬間に自我を失ったのに何に感動しているのか。
何を評価できようか。
生まれ変わるなら惑星がいい。
いつか爆発して消滅するから。
一つ惑星が消滅しても宇宙は今日も明日も存在する。
何者かであり続ける必要はない。
誰かが人生は暇つぶしだと言ったが、だとしたらあまりに長すぎる。
何も望んでいないのに。
自分がどう生きようと、どう死のうと時間は永遠に進んでいく。
多くの人間に機械以上の価値はない。
人間は皆、中途半端だ。完璧な人間など存在しない。
完璧を求めるから破綻するのだ。
韓国ドラマで主人公が転校生にいじめられていた。
転校生曰くいじめ始めた理由は、主人公が転校生にジュースを奢ったその日、空が澄んでとてもきれいだったから。
その日の空の青さが主人公を自殺寸前まで追い詰めた。
そして転校生を殺人鬼に駆り立てた。
転校生のその気持ちが理解できなくもない。
青空を見ると死にたくなる。